講演情報
[T3-O-19]芸術家たちが魅了された栃木県那須と塩原の風景と地質
*伴 敦志1 (1. 那須塩原市立埼玉小学校)
キーワード:
那須火山群、高原火山群、風景画、茶臼岳、福渡層、鹿股沢層、溶岩末端崖、柱状節理
那須と塩原は、日光と並んで栃木県を代表する景勝地であり、毎年多くの人々が訪れている。那須は、御用邸があることでも知られ、皇室の方々も度々訪問されている。そして、塩原にも大正天皇の御用邸があった。ここには文筆家や画家など芸術家たちも多く訪れて、文学や絵画などたくさんの作品を執筆・制作している。今回は、特に絵画作品に焦点を当てて那須と塩原の風景の何が芸術家達の心を魅了したのかについて考察する。
那須には、谷文晁(1763-1841)の「日本名山図会」に『那須山』として取り上げられた那須火山群がある。文晁は、南東方向に緩やかな裾野を引く南月山と侵食著しい朝日岳を左右に置き、中央にドーム状の高まりをもった茶臼岳を描いている。中野和高(1896-1965)の『那須』や灰野文一郎(1901-1977)の『那須の山』、小野政吉(1910-2004)の『錦秋の那須』や『早春の那須』などは、茶臼岳の南東斜面に見られる度重なる火山活動で流出した安山岩溶岩による、厚みと圧倒的なボリュームのある特徴的な溶岩末端崖を質感豊かに表現している。この地形は、文晁の『那須山』でもダイナミックな曲線を使って表現されており、那須の代表的な風景の一つである。活動的な火山である茶臼岳は、山体の南西側の山腹から現在も盛んに噴気が見られ、松本哲男(1943-2012)の『壮』や杉山寒月(1943- )の『初雪の朝』は、その風景に魅了された作品である。山腹から噴き上がる噴気は、山の斜面を這うように立ち上り、山体を覆うように上昇してやがて霧散していく。その始まりから終わりまでを間近に見ることができるのも那須ならではである。田村一男(1904-1997)の『なすのやま』は、一風変わった趣のある風景を描いている。茶臼岳は、山頂部が1408-1410噴火の溶岩ドームで形成されている。そのため、山頂付近では地下からの熱が伝わり、現在でも地表面の温度は周囲よりも高い傾向がある。そのため、雪解けも山頂部のドーム付近が山麓斜面よりも若干早い。その特徴を捉えたこの作品では、溶岩ドームの部分に積雪が無い状態で描かれている。
塩原は、文晁によって『塩原山』が描かれている。しかし、現在塩原山と呼ばれる山が存在しないため、どの山を描いたかは推測の域を出ないので、ここでは論じる対象としない。絵画作品ではないが志賀重昂(1863-1927)が著した「日本風景論」では、塩原の材木岩が取り上げられている。挿絵を担当したのは海老名明四(生没年不詳)で、中新統を貫く安山岩質の岩石(ヒン岩)による見事な柱状節理が描かれている。同書では柱状節理の風景として玄武洞と並び紹介されているのも特筆すべきことである。また、二世 五姓田芳柳(1864-1943)は、塩原温泉に向かう街道沿いの懸崖に穿たれた隧道と、その崖下を流れる箒川の渓流を描いた。川瀬巴水(1883-1957)は、『塩原おかね路』で、新道工事で露出した中新統福渡層の凝灰岩による鮮やかな明灰色の連続露頭を描いており、作品のアクセントとなっている。また『しほ原 雄飛の滝』では、塩原の南に位置する高原火山溶岩の板状節理を侵食して落水する様子を散りゆくモミジと「スッカンブルー」と呼ばれる独特の色合いを呈するスッカン沢の流れとともに表している。大森義夫(1900-1978)は『塩原福渡の夏』で、中新統福渡層の凝灰岩を侵食して流れる箒川と、風化の具合で微妙に色調を変える岩肌の風景に惹かれた絵を描いている。岩肌の独特の色合いは河岸だけに留まらず、大雨の後の川底にも見ることができ、現在でも多くの人々の目を惹いている。また、大森は『塩ノ湯の秋』では、鹿股沢層の砂質凝灰岩の規則正しい割れ目を伴った風化構造を侵食して流れる渓流を岸辺の紅葉とともに描いている。灰野文一郎は『奥塩原』で狭隘な谷底に箒川によって形成された小規模な河岸段丘と段丘崖に見られる更新統塩原湖成層の露頭を描いている。
那須は火山地形ゆえ、数キロメートルの距離から山体を描いた作品が多い。一方、塩原は箒川による侵食を受けた地形ゆえ、それらを背景に数十メートルの距離から描いた作品が多い。那須は凸地形、塩原は凹地形が特徴となって、今も多くの人々の興味を惹き、目を楽しませ魅了し続けている。
引用文献
志賀重昂(1894)日本風景論,政教社,219p.
那須塩原市那須野が原博物館編(2023) 特別展 那須塩原風景画譚,同博物館発行,80p.
山元孝広・伴雅雄(1997)那須火山地質図,地質調査所,8p.
那須には、谷文晁(1763-1841)の「日本名山図会」に『那須山』として取り上げられた那須火山群がある。文晁は、南東方向に緩やかな裾野を引く南月山と侵食著しい朝日岳を左右に置き、中央にドーム状の高まりをもった茶臼岳を描いている。中野和高(1896-1965)の『那須』や灰野文一郎(1901-1977)の『那須の山』、小野政吉(1910-2004)の『錦秋の那須』や『早春の那須』などは、茶臼岳の南東斜面に見られる度重なる火山活動で流出した安山岩溶岩による、厚みと圧倒的なボリュームのある特徴的な溶岩末端崖を質感豊かに表現している。この地形は、文晁の『那須山』でもダイナミックな曲線を使って表現されており、那須の代表的な風景の一つである。活動的な火山である茶臼岳は、山体の南西側の山腹から現在も盛んに噴気が見られ、松本哲男(1943-2012)の『壮』や杉山寒月(1943- )の『初雪の朝』は、その風景に魅了された作品である。山腹から噴き上がる噴気は、山の斜面を這うように立ち上り、山体を覆うように上昇してやがて霧散していく。その始まりから終わりまでを間近に見ることができるのも那須ならではである。田村一男(1904-1997)の『なすのやま』は、一風変わった趣のある風景を描いている。茶臼岳は、山頂部が1408-1410噴火の溶岩ドームで形成されている。そのため、山頂付近では地下からの熱が伝わり、現在でも地表面の温度は周囲よりも高い傾向がある。そのため、雪解けも山頂部のドーム付近が山麓斜面よりも若干早い。その特徴を捉えたこの作品では、溶岩ドームの部分に積雪が無い状態で描かれている。
塩原は、文晁によって『塩原山』が描かれている。しかし、現在塩原山と呼ばれる山が存在しないため、どの山を描いたかは推測の域を出ないので、ここでは論じる対象としない。絵画作品ではないが志賀重昂(1863-1927)が著した「日本風景論」では、塩原の材木岩が取り上げられている。挿絵を担当したのは海老名明四(生没年不詳)で、中新統を貫く安山岩質の岩石(ヒン岩)による見事な柱状節理が描かれている。同書では柱状節理の風景として玄武洞と並び紹介されているのも特筆すべきことである。また、二世 五姓田芳柳(1864-1943)は、塩原温泉に向かう街道沿いの懸崖に穿たれた隧道と、その崖下を流れる箒川の渓流を描いた。川瀬巴水(1883-1957)は、『塩原おかね路』で、新道工事で露出した中新統福渡層の凝灰岩による鮮やかな明灰色の連続露頭を描いており、作品のアクセントとなっている。また『しほ原 雄飛の滝』では、塩原の南に位置する高原火山溶岩の板状節理を侵食して落水する様子を散りゆくモミジと「スッカンブルー」と呼ばれる独特の色合いを呈するスッカン沢の流れとともに表している。大森義夫(1900-1978)は『塩原福渡の夏』で、中新統福渡層の凝灰岩を侵食して流れる箒川と、風化の具合で微妙に色調を変える岩肌の風景に惹かれた絵を描いている。岩肌の独特の色合いは河岸だけに留まらず、大雨の後の川底にも見ることができ、現在でも多くの人々の目を惹いている。また、大森は『塩ノ湯の秋』では、鹿股沢層の砂質凝灰岩の規則正しい割れ目を伴った風化構造を侵食して流れる渓流を岸辺の紅葉とともに描いている。灰野文一郎は『奥塩原』で狭隘な谷底に箒川によって形成された小規模な河岸段丘と段丘崖に見られる更新統塩原湖成層の露頭を描いている。
那須は火山地形ゆえ、数キロメートルの距離から山体を描いた作品が多い。一方、塩原は箒川による侵食を受けた地形ゆえ、それらを背景に数十メートルの距離から描いた作品が多い。那須は凸地形、塩原は凹地形が特徴となって、今も多くの人々の興味を惹き、目を楽しませ魅了し続けている。
引用文献
志賀重昂(1894)日本風景論,政教社,219p.
那須塩原市那須野が原博物館編(2023) 特別展 那須塩原風景画譚,同博物館発行,80p.
山元孝広・伴雅雄(1997)那須火山地質図,地質調査所,8p.
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