講演情報
[T1-O-7][招待講演]中・古生代における北東アジアのテクトニクスと原日本列島の起源
*川口 健太1 (1. 広島大学)
キーワード:
北東アジア、原日本列島、古生代、中生代
日本海拡大以前の"原日本列島"はアジア大陸東縁で成長した。しかし、その起源は不明点が多い。そこで、本講演では演者が共同研究者と共に近年公表したデータに基づき、中・古生代の北東アジアのテクトニクスと"原日本列島"の起源についてまとめる。
古生代舞鶴帯:断片化した大陸地殻の様相を呈する舞鶴帯北帯において、舞鶴地域にはオルドビス紀後期–シルル紀、石炭紀後期–ペルム紀 (e.g., Fujii et al., 2008. Island Arc 17, 322–341)、岡山県北部にはカンブリア紀後期–オルドビス紀、石炭紀(Harada et al., 2024. JMPS 119:240616)の火成弧型(変)花崗岩類が産する。舞鶴地域の花崗岩類のジルコンのLu–Hf同位体組成は、εHf(t)値で示すと、オルドビス紀後期と石炭紀後期のものは+0.2から+3.1の値を示す一方、ペルム紀前期のものは+4.4から+12.2を示す(川口ほか2024地質学会要旨)。東アジア東縁において、石炭紀の沈み込みが認められない南中国地塊東–南縁(e.g., Li et al., 2012. Chem. Geol. 328, 195–207)と、古原生代のクラトンを主体とする北中国地塊東部(e.g., Kang et al., 2023. Earth Sci. Rev. 247, 104605)は舞鶴地域と岡山県北部の舞鶴帯北帯の起源とは考えにくい。一方、同地域の舞鶴帯北帯花崗岩類と類似した同位体組成を持つ花崗岩類は、東アジアにおいてはKhanka-Jiamusi地塊に広く認められ(e.g., Zhang et al., 2018, J. Earth Sci. 29, 255–264)、舞鶴地域から岡山県北部の舞鶴帯北帯は同地塊に起源を持つと考えられる。
ペルム紀–トリアス紀火成活動:"原日本列島"では飛騨帯において約260–230 Maにピークを持つ火成弧型の火成活動が認められる。一方、韓半島においては古生代の火成活動静穏期の後、283 Maに火成活動が活発化した(Choi et al., 2021. Lithos 382–383, 105930)。韓半島のペルム紀–トリアス紀の火成活動は(1) 283–230 Maの火成弧型、(2) 235–225 MaのPost-collision型、(3) 230–215 Maの非火成弧型でAタイプ花崗岩を主体とする活動に三分できる。(1)は韓半島南東部と北東部に認められる。一方、(2)は韓半島中央部のGyeonggi Massif (GM)北部以北に限られ、その分布の南限はGM内に定義できる。従って、その南限は南北中国地塊の衝突境界に対応する可能性がある。(3)は(2)の南限以南で限定的に認められる。飛騨帯の約260–230 Maの火成弧型深成岩は、韓半島の(1)に対応する。飛騨帯の火成活動は約230 Maにピークアウトし、韓半島における(1)の活動も同様のパターンを示す。韓半島の230 Ma以降の火成活動(3)はSlab-roll backに起因し(Lee et al., 2021. Lithos 386–387, 106018)、それは約215 Maに停止する。
ジュラ紀火成活動:"原日本列島"においては約230 Ma、韓半島においては約215 Maに始まる火成活動静穏期の後、両者に共通して火成弧型の火成活動が約200 Maに開始した。"原日本列島"ではジュラ紀の飛騨・江尾花崗岩が、韓半島ではDaebo花崗岩が該当する。これらは、(I) 約200–180 Maの年代を示し、インヘリテッドジルコンに極めて乏しく、高いジルコンのεHf(t)値(-0.8から+13)を持つものと、(II) 約180–160 Maの年代を示し、先カンブリア時代のインヘリテッドジルコンに富み、低いジルコンのεHf(t)値(-25.0から-13.9)を持つものに明瞭に二分される。(I)の全岩化学組成は重希土類元素に中程度に涸渇したパターンを示し、典型的な火成弧組成を示す。一方、(II)の多くは中–重希土類元素に強く涸渇した全岩化学組成を有し、ざくろ石やホルンブレンドを残渣に持つことが示唆され、厚い下部地殻の溶融により形成されたアダカイト質花崗岩類と高い類似性を持つ(Kawaguchi et al., 2023. Gondwana Res. 117, 56–85)。(I)は"原日本列島"の飛騨・江尾花崗岩と、韓半島南東部と北東端におけるDaebo花崗岩が該当する。これは、飛騨・江尾花崗岩が韓半島南東部から北東部へ続く一連の沈み込み帯で形成されたことを示唆する。一方、(II)は(I)の主たる分布域を除く韓半島全土に広く認められる。これは沈み込み角度の低角度化により"原日本列島"と韓半島南東・北東部で(I)の火成活動が180 Maごろ停止し、より大陸側で(II)の活動がそれ以降広く生じたことを示唆する。
古生代舞鶴帯:断片化した大陸地殻の様相を呈する舞鶴帯北帯において、舞鶴地域にはオルドビス紀後期–シルル紀、石炭紀後期–ペルム紀 (e.g., Fujii et al., 2008. Island Arc 17, 322–341)、岡山県北部にはカンブリア紀後期–オルドビス紀、石炭紀(Harada et al., 2024. JMPS 119:240616)の火成弧型(変)花崗岩類が産する。舞鶴地域の花崗岩類のジルコンのLu–Hf同位体組成は、εHf(t)値で示すと、オルドビス紀後期と石炭紀後期のものは+0.2から+3.1の値を示す一方、ペルム紀前期のものは+4.4から+12.2を示す(川口ほか2024地質学会要旨)。東アジア東縁において、石炭紀の沈み込みが認められない南中国地塊東–南縁(e.g., Li et al., 2012. Chem. Geol. 328, 195–207)と、古原生代のクラトンを主体とする北中国地塊東部(e.g., Kang et al., 2023. Earth Sci. Rev. 247, 104605)は舞鶴地域と岡山県北部の舞鶴帯北帯の起源とは考えにくい。一方、同地域の舞鶴帯北帯花崗岩類と類似した同位体組成を持つ花崗岩類は、東アジアにおいてはKhanka-Jiamusi地塊に広く認められ(e.g., Zhang et al., 2018, J. Earth Sci. 29, 255–264)、舞鶴地域から岡山県北部の舞鶴帯北帯は同地塊に起源を持つと考えられる。
ペルム紀–トリアス紀火成活動:"原日本列島"では飛騨帯において約260–230 Maにピークを持つ火成弧型の火成活動が認められる。一方、韓半島においては古生代の火成活動静穏期の後、283 Maに火成活動が活発化した(Choi et al., 2021. Lithos 382–383, 105930)。韓半島のペルム紀–トリアス紀の火成活動は(1) 283–230 Maの火成弧型、(2) 235–225 MaのPost-collision型、(3) 230–215 Maの非火成弧型でAタイプ花崗岩を主体とする活動に三分できる。(1)は韓半島南東部と北東部に認められる。一方、(2)は韓半島中央部のGyeonggi Massif (GM)北部以北に限られ、その分布の南限はGM内に定義できる。従って、その南限は南北中国地塊の衝突境界に対応する可能性がある。(3)は(2)の南限以南で限定的に認められる。飛騨帯の約260–230 Maの火成弧型深成岩は、韓半島の(1)に対応する。飛騨帯の火成活動は約230 Maにピークアウトし、韓半島における(1)の活動も同様のパターンを示す。韓半島の230 Ma以降の火成活動(3)はSlab-roll backに起因し(Lee et al., 2021. Lithos 386–387, 106018)、それは約215 Maに停止する。
ジュラ紀火成活動:"原日本列島"においては約230 Ma、韓半島においては約215 Maに始まる火成活動静穏期の後、両者に共通して火成弧型の火成活動が約200 Maに開始した。"原日本列島"ではジュラ紀の飛騨・江尾花崗岩が、韓半島ではDaebo花崗岩が該当する。これらは、(I) 約200–180 Maの年代を示し、インヘリテッドジルコンに極めて乏しく、高いジルコンのεHf(t)値(-0.8から+13)を持つものと、(II) 約180–160 Maの年代を示し、先カンブリア時代のインヘリテッドジルコンに富み、低いジルコンのεHf(t)値(-25.0から-13.9)を持つものに明瞭に二分される。(I)の全岩化学組成は重希土類元素に中程度に涸渇したパターンを示し、典型的な火成弧組成を示す。一方、(II)の多くは中–重希土類元素に強く涸渇した全岩化学組成を有し、ざくろ石やホルンブレンドを残渣に持つことが示唆され、厚い下部地殻の溶融により形成されたアダカイト質花崗岩類と高い類似性を持つ(Kawaguchi et al., 2023. Gondwana Res. 117, 56–85)。(I)は"原日本列島"の飛騨・江尾花崗岩と、韓半島南東部と北東端におけるDaebo花崗岩が該当する。これは、飛騨・江尾花崗岩が韓半島南東部から北東部へ続く一連の沈み込み帯で形成されたことを示唆する。一方、(II)は(I)の主たる分布域を除く韓半島全土に広く認められる。これは沈み込み角度の低角度化により"原日本列島"と韓半島南東・北東部で(I)の火成活動が180 Maごろ停止し、より大陸側で(II)の活動がそれ以降広く生じたことを示唆する。
