講演情報

[J-P-8]2つの日記をつなぎわかったダルトン及びマウンダー極小期の降水出現率

*池田学園池田高等学校 科学思考班1 (1. 池田学園池田高等学校科学思考班)
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 研究者生徒氏名:小倉心美、及川紗彩、及川紗柚、加藤ほのか、中尾文乃、東ひかる、川野仁子、小田平佑理、富川慎也、倉野月菜、永松けい 、西村一真、仲埜実由菜、牧優希、中森陽介、田畑咲栄、草道陽斗、西美羽、長坂悠甫、堀ノ内聖珠、原浦寧々、廣田瑛南、廣田珂南

1.研究の動機
本研究は、機器観測以前の天候を探ることが出来そうなデータとして、古文書の天気記録に着目し過去10年で11の古文書を分析してきた(Fig.1)。今年分析した「石川日記」 (1720-1912) は現在の東京都八王子市の石川家で代々書き継がれてきた農事日記で、「弘前藩庁江戸日記」(1668-1860・以下、弘前藩)は現在の東京都墨田区にあった藩邸で書かれた公式記録で江戸の町の出来事も記録されている。
2.研究の目的
石川日記と弘前藩の降水出現率を繋いで定量的な復元をして、江戸時代の天候を探る。
3.研究の方法
⑴天気概況の区分は、現在の気象庁の出現率の4分類に近づけて、雪→雨→曇→晴と悪いほうの天気を優先して採用した。「晴」と「曇」が併記されている日は、1日のうち、8.5割以上曇っていれば「曇」、8.5割(20.4時間)未満であれば「晴」と、空間分布を時間分布に換算して判断した。
⑵和暦を西暦に変換しつつ、日々の天気概況を入力した。さらに、年ごとの詳細率も計算した。
4.データ処理
取得したデータは、「石川日記」が177年間の70,071日で、弘前藩は、201年間で52,554日だった。
「詳細率」以外の天気の出現率の集計においては、1年の1/3の欠測のある年は1つのシーズンが欠けていると判断して集計から削除した。気象庁の集計を参考に2月29日は削除した。
5.詳細率について
「詳細率」とは庄による独自の関数で、天気記録の詳細さを表す指標である。
❶複数種類の天気が併記されていたり、❷時間変化に関する記述があったり、❸大雨などの降水の規模に関する情報が含まれている日数の占める年比率で、
「(❶日数+❷日数+❸日数)/年間の全記録日数」の式で求める。天気記録が簡略であるほど、天気の観察回数が少なく、夜間の降水や小規模な降水が見落とされる可能性が高くなるとされる。
6.データと考察
⑴データ①と考察:東京気象台と八王子の距離の検討
八王子市と東京気象台 (港区虎ノ門)の直線距離は約39㎞である。「気象台の降水出現率(0.0㎜≦)」と「日記の降水出現率」の相関係数は0.85で強い相関があることがわかり、2つの地点の降水出現率を比較できると考えた(気象庁は無降水の表記を「-」とし、微量の降水は「0.0㎜≦」とする)(Fig.2)。古文書の天気記録は、日単位で見れば定性的で誤差があるが、積算値をみると定量的な分析に堪える資料であると考える。
⑵データ②と考察:重回帰分析による石川日記の降水出現率の復元と他の復元値の比較
「詳細率」x₁と「日記の降水出現率」x₂を説明変数、「気象台の降水出現率」yを目的変数として重回帰分析で復元したところ、決定係数は0.81であった(Fig.3.4)。
重回帰分析による復元で使った式は、y=2.06 x₁+1.67 x₂+0.01 x₃-5.80 x₄ -0.06であった。
⑶データ③と考察:2つの日記をつなぎ弘前藩の降水出現率の復元をして、マウンダー極小期の4つの飢饉の原因を探る
データ③で得られた重回帰分析による復元値を正として、弘前藩の1668-1719年の期間の降水出現率を重回帰分析で復元した。2つの日記の1720-1751年の重複期間が欠測の少ないので復元値を目的変数にして、弘前藩の降水出現率や詳細率、sin、cosなどの周期関数を説明変数に使った。
降水出現率の上昇した年と、延宝の飢饉(1674-1675)、延宝8年の飢饉(1680)、天和の飢饉(1682-1683)、元禄の飢饉(1691-1695)の4つの飢饉が対応する。日本におけるマウンダー極小期の飢饉の降水の定量的な先行研究がないが、本研究により新たなデータが得られたと考える(Fig.5.6)。
7.まとめ
⑴八王子市と気象台があった虎ノ門との直線距離は約39㎞で、降水出現率の相関係数は0.85であった。
⑵2つの日記を繋ぎ弘前藩の1719年以前を復元すると、マウンダー極小期の中において、降水出現率の上昇と4つの飢饉が対応している。
8.今後の展望
東京で書かれた江戸時代初期の日記を探し、時期を遡り天候の復元を試みる。

キーワード:石川日記、弘前藩庁江戸日記、詳細率、重回帰分析、マウンダー極小期