講演情報
[J-P-9]江戸幕府の公式天文観測「霊験候簿」を使って「石川日記」の降水出現率や「弘前藩庁江戸日記」の7月の気温を検証する
*池田学園池田高等学校 科学思考班1 (1. 池田学園池田高等学校科学思考班)
研究者生徒氏名:小倉心美、及川紗彩、及川紗柚、加藤ほのか、中尾文乃、東ひかる、川野仁子、小田平佑理、富川慎也、倉野月菜、永松けい 、西村一真、仲埜実由菜、牧優希、中森陽介、田畑咲栄、草道陽斗、西美羽、長坂悠甫、堀ノ内聖珠、原浦 寧々、廣田瑛南、廣田珂南
1.研究の動機
江戸時代の天候を知るために、古文書の天気記録を使って定量的な復元を試みてきた (Fig.1)。
今年分析した「霊憲候簿」¹⁾ (東京・1838-1854) は、天文学者の渋川景佑が、江戸幕府の命で作成した天文観測記録で、17年間にわたり小石川や九段坂で行ったものである。
2.研究の目的
⑴霊験候簿の天気記録を分析し、先行研究で猛暑年とされる1853年の気温を復元する。また、昨年分析した「石川日記」²⁾や「弘前藩庁江戸日記」³⁾(以下、江戸日記)の晴の出現率と気温を比較する。
⑵昨年、独自に考案した降水出現率の復元方法「池田方式」や「重回帰分析」、「ピアニの方法」で石川日記(八王子、1720-1912)の降水出現率と、霊験候簿を比較検証する。
① 池田方式とは:庄⁴⁾の発表した「日記の降水量閾値」をヒントに古文書から得られる降水出現率等の天気記録の数値同士の近似式を使った気象台の降水出現率(0.0㎜≦)を復元する独自の方法。日記は降水量が不明であるために、結果的に「0.0㎜≦」の降水出現率を復元したことになる。
②重回帰分析とは:目的変数y を2つ以上の説明変数x₁,x₂ の関数として表すこと
③ピアニの方法とは:実測値があるデータの中で、予測値を実測値に近づける補正方法
3.研究の方法(独自の復元方法の検証)
⑴天気概況の区分は、現在の気象庁の出現率の4分類に近づけて、雪→雨→曇→晴と悪いほうの天気を優先して採用した。
⑵和暦を西暦に変換しつつ、日々の天気概況をエクセルに入力した。
4.データ処理
取得したデータは、霊憲候簿が17年間の3,686 日で、石川日記は、193年間で70,071日<
江戸日記は201 年で52,554 日だった。
5.詳細率について
詳細率とは庄による独自の関数で、❶複数種類の天気が併記、❷時間変化に関する記述、❸大雨などの降水規模の記述がある日数の年比率を表す。ただし、霊憲候簿は1日に3~4回の天候観測があるため記述の詳しさを表す詳細率の影響を考慮せずに天気の4つの出現率を算出した。
6.データと考察
⑴データ①と考察
霊憲候簿でみると1853年は晴の出現率が高く、風向記録の回数では、南風以外の風向記録が少ない(Fig.2.4)。財城⁵⁾は「大高氏の記録」を使って、1853年の7月が猛暑年だったと報告している。霊憲候簿を調べると、観測期間のうち、月平均の最高気温は1853年の7月であった。華氏αを摂氏βに「β℃=(α°F-32)×5/9」で変換すると、7月は平均30.6℃、8月の平均は30.1℃で気象庁の「真夏日」の定義にあたる(Fig.3)。
平野⁶⁾は「7月の晴の出現率」と「気温」の相関が高いことを複数の日記で証明している。そこで、霊憲候簿の気温と江戸日記の7月の晴の出現率の相関から、1688年まで遡って平均気温を復元した(Fig.5)。予想に反してダルトン極小期(1645-1715年)の7月に高い気温がみられることがわかった。(Fig.6)
⑶データ②と考察:霊憲候簿と復元した石川日記の降水出現率との比較(比較期間:1838-1854)
私たちが考案した降水出現率の復元をヒントに古文書等から得られる数値同士の近似式を使った気象台の降水出現率(0.0㎜≦)を復元する池田方式を検討した(Fig.7.8)。
矢印①・・1720-1875年の日記の降水量閾値は、詳細率と日記の降水量閾値のべき乗近似式で復元
矢印②・・1876-1912年の気象台の降水量閾値と気象台の降水出現率との関係は対数近似式で復元
矢印③・・1720-1875年の気象台の降水量閾値を日記の降水量閾値とのべき乗近似式で復元
矢印④・・1720-1875年の気象台の降水出現率を気象台降水量閾値との対数近似式で復元。
7.まとめ
⑴先行研究で示された、1853年の7月と8月は30℃を超える真夏日であった。
⑵復元値の中で、霊憲候簿に近かったのは、重回帰分析、次に池田方式であった。
8.今後の展望
江戸期の天候の定量的な復元をして、地球温暖化による異常気象への対応を考える材料としたい。
キーワード:霊験候簿、石川日記、弘前藩庁江戸日記、池田方式
1.研究の動機
江戸時代の天候を知るために、古文書の天気記録を使って定量的な復元を試みてきた (Fig.1)。
今年分析した「霊憲候簿」¹⁾ (東京・1838-1854) は、天文学者の渋川景佑が、江戸幕府の命で作成した天文観測記録で、17年間にわたり小石川や九段坂で行ったものである。
2.研究の目的
⑴霊験候簿の天気記録を分析し、先行研究で猛暑年とされる1853年の気温を復元する。また、昨年分析した「石川日記」²⁾や「弘前藩庁江戸日記」³⁾(以下、江戸日記)の晴の出現率と気温を比較する。
⑵昨年、独自に考案した降水出現率の復元方法「池田方式」や「重回帰分析」、「ピアニの方法」で石川日記(八王子、1720-1912)の降水出現率と、霊験候簿を比較検証する。
① 池田方式とは:庄⁴⁾の発表した「日記の降水量閾値」をヒントに古文書から得られる降水出現率等の天気記録の数値同士の近似式を使った気象台の降水出現率(0.0㎜≦)を復元する独自の方法。日記は降水量が不明であるために、結果的に「0.0㎜≦」の降水出現率を復元したことになる。
②重回帰分析とは:目的変数y を2つ以上の説明変数x₁,x₂ の関数として表すこと
③ピアニの方法とは:実測値があるデータの中で、予測値を実測値に近づける補正方法
3.研究の方法(独自の復元方法の検証)
⑴天気概況の区分は、現在の気象庁の出現率の4分類に近づけて、雪→雨→曇→晴と悪いほうの天気を優先して採用した。
⑵和暦を西暦に変換しつつ、日々の天気概況をエクセルに入力した。
4.データ処理
取得したデータは、霊憲候簿が17年間の3,686 日で、石川日記は、193年間で70,071日<
江戸日記は201 年で52,554 日だった。
5.詳細率について
詳細率とは庄による独自の関数で、❶複数種類の天気が併記、❷時間変化に関する記述、❸大雨などの降水規模の記述がある日数の年比率を表す。ただし、霊憲候簿は1日に3~4回の天候観測があるため記述の詳しさを表す詳細率の影響を考慮せずに天気の4つの出現率を算出した。
6.データと考察
⑴データ①と考察
霊憲候簿でみると1853年は晴の出現率が高く、風向記録の回数では、南風以外の風向記録が少ない(Fig.2.4)。財城⁵⁾は「大高氏の記録」を使って、1853年の7月が猛暑年だったと報告している。霊憲候簿を調べると、観測期間のうち、月平均の最高気温は1853年の7月であった。華氏αを摂氏βに「β℃=(α°F-32)×5/9」で変換すると、7月は平均30.6℃、8月の平均は30.1℃で気象庁の「真夏日」の定義にあたる(Fig.3)。
平野⁶⁾は「7月の晴の出現率」と「気温」の相関が高いことを複数の日記で証明している。そこで、霊憲候簿の気温と江戸日記の7月の晴の出現率の相関から、1688年まで遡って平均気温を復元した(Fig.5)。予想に反してダルトン極小期(1645-1715年)の7月に高い気温がみられることがわかった。(Fig.6)
⑶データ②と考察:霊憲候簿と復元した石川日記の降水出現率との比較(比較期間:1838-1854)
私たちが考案した降水出現率の復元をヒントに古文書等から得られる数値同士の近似式を使った気象台の降水出現率(0.0㎜≦)を復元する池田方式を検討した(Fig.7.8)。
矢印①・・1720-1875年の日記の降水量閾値は、詳細率と日記の降水量閾値のべき乗近似式で復元
矢印②・・1876-1912年の気象台の降水量閾値と気象台の降水出現率との関係は対数近似式で復元
矢印③・・1720-1875年の気象台の降水量閾値を日記の降水量閾値とのべき乗近似式で復元
矢印④・・1720-1875年の気象台の降水出現率を気象台降水量閾値との対数近似式で復元。
7.まとめ
⑴先行研究で示された、1853年の7月と8月は30℃を超える真夏日であった。
⑵復元値の中で、霊憲候簿に近かったのは、重回帰分析、次に池田方式であった。
8.今後の展望
江戸期の天候の定量的な復元をして、地球温暖化による異常気象への対応を考える材料としたい。
キーワード:霊験候簿、石川日記、弘前藩庁江戸日記、池田方式

