講演情報
[T3-O-2]高知県室戸地方で生産された硯(土佐石)の地質とその文化誌
*中山 健1、柿崎 喜宏1,2 (1. 高知大学、2. 室戸ジオパーク推進協議会)
キーワード:
室戸、付加体、石硯、土佐石、空海、ジオツーリズム
高知県室戸地方で生産された硯(土佐石)の地質とその文化誌Geology and cultural history of the inkstone “Tosa-ishi” produced in the Muroto region, Kochi Prefecture, Japan. 中山健 (高知大学海洋コア国際研究所)・柿崎喜宏 (高知大学海洋コア国際研究所・室戸ジオパーク推進協議会)キーワード:室戸,付加体,石硯,土佐石,空海,ジオツーリズム 我国の文字文化を支えてきた硯は,古墳時代から平安時代後期にかけて普及した陶器製硯(円面硯や風字硯)に代わって,鎌倉時代になると石硯の生産が始まり,江戸時代中・後期から明治時代には市民の日常生活に不可欠な文具の一つとなった.全国で生産された石硯は,付加体やグリーンタフを構成する泥質岩や赤色頁岩といった我国特有の地質資源を活用したもので*1,その利用は,それぞれの時代および地域の生活様式や文化と深く関わって発展してきた.江戸時代に室戸地方で石硯が生産されていたことは,歴史書や硯研究家によるテキストに散見されるが,現在地元では殆ど知られていない.今般,既存史料調査から,当地は江戸時代には,我国でも有数の硯生産地の一つであったことが明らかになった.当地で硯として利用された原石は,黒色粘板岩 (衣滴石・西寺衣石・島石・羽根石・栗御岬石・行頭石・天漢石)と赤色頁岩(伊芝石・坂本石)で,いずれも始新世から中新世のプレート収束域で形成されたフリッシュ堆積物(奈半利川層・室戸層・津呂層)および佐喜浜メランジュ (始新世) の構成岩で,堆積および構造擾乱の少ない細粒均質なものを利用していたものと思われる.過去の産地であった羽根岬,行当岬および坂本海岸で採取した試料について室内試験を行った結果,石英・曹長石・(一部イライト)を鋒鋩(ほうぼう)とし,スレート劈開に沿うシート状イライトを基質の一部とする雨畑石(山梨県早川町)や蒼龍石(高知県土佐清水市)など付加体産の硯と共通する特徴を有することが判明した.平安時代初期,人口も希薄だった当地方に空海に関係した真言宗3寺院が創設され,仏教文化に根ざした生活様式が広がっていたことは想像に難くない.空海が唐から帰朝後の807年に室戸を再訪し,行当岬の岩石を摺合わせて硯としたことが伝承として記録されている*2.これを端緒として,地元では寺院を中心とした硯の需要があったものと推定される.1500年(室町時代中期) に成立した七十一番職人尽歌合に「土佐石」の歌が残されており,この頃既に室戸地方で硯の生産があったことを示唆している.江戸時代中期には金剛頂寺(通称「西寺」)の僧侶が海中から原石を採取したことも知られている*3.やがて八十八箇所遍路巡礼の普及とともに巡礼者への土産としても販売されるようになり*4,全国に拡散していった.当地の硯および原石は大阪の硯・砥石専門問屋にも出荷された記録が残っている*2が,明治時代になり生産は途絶えた.こうした地元の地質資源を活用した室戸地方の硯の文化誌は,「大地と密着してきた暮らしの営み」の歴史の一側面を見ており,今後,室戸ユネスコ世界ジオパークにおけるジオツーリズムへの展開が期待される. *1: 中山ほか (2022) 資源地質, *2: 武藤 (1813) 南路志,*3: 木内 (1773) 雲根志, *4: 伊予史談会 (1981)四国遍礼名所図会
