講演情報

[T3-O-12]岐阜県中津川市旭ヶ丘の句碑「六歌仙塚」の石材

*朝倉 顯爾1 (1. 一般社団法人 地球科学社会教育機構)
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キーワード:

中津川市、句碑、屏風山断層、防災

 岐阜県中津川市において,江戸時代に建立された「六歌仙塚」とよばれる5つの句碑を調査したところ,市内を流れる中津川の転石を使用した可能性が高いことがわかった.転石を使用した句碑の存在は,当時の俳諧の文化を伝えるとともに,中津川市の地質背景を考える上でも重要だと考えられる.
中津川市には,江戸時代に流行した俳諧の記録がさまざまな形で残されている.市内の中川神社には享保十一(1726)年に作られた横3mにおよぶ奉納俳諧の額が存在し,出詠者65人におよぶ俳句が記されているなど,その熱狂ぶりをうかがい知ることができる.俳諧の記録としては金石文として石碑に残された例も存在し,たとえばかつての中山道の中津川宿から見て東に位置する旭ヶ丘には,江戸時代から明治時代にかけての句碑が多数残されている.
この旭ヶ丘の句碑のうち,天明三(1783)年建立の「六歌仙塚」といわれる句碑は,それぞれの句が刻まれた石の様子のおかしさを詠んだものになっており,石の種類も変化に富んでいる.『中津川市史 中巻』(1988)によると,句碑はもともと月石,雪石,涼石,木賊石,萩石,揃石の6つがあったとされるが,現存しているものは木賊石を除く5つである.長径30cmから40cm程度の円礫で作られた句碑は,おそらく川原の転石を使用したものであり,これまでにその石材に言及した調査は行われていなかった.
今回,句碑の石は近傍の河川から得られたものと考えて市内を流れる中津川の川原を調査したところ,句碑と同様の岩質の転石を見つけることができた.川原では句碑と同サイズの転石が多く見られ,こうした転石の中から姿のおもしろいものを選んで句碑を建立したと考えるのが最も合理的である.句碑に刻まれた句と作者,および特定した材質は以下のとおりである.なお,句の文と作者は句碑から読み取ることが困難であったために,『中津川市史 中巻』(1988)の記載を参照した.
  月石 石いろいろ数さへふめるけさの月 相和房芦因 花崗岩中の暗色包有岩と石英脈
  雪石 積る雪や猶もしらがの塚の石   鉄歌人囲三 花崗岩脈を含むホルンフェルス
  涼石 石塚やとくさに渡る風涼し    松風軒藤朴 花崗岩中の暗色包有岩
  萩石 千代積で石しとどなる萩の露   横井也有  片麻岩もしくはミグマタイト
  揃石 面白ふ雪に揃ふや草履石     不詳    未変成ないし弱変成の砂岩
月石,涼石で使用されているものと同様の暗色包有岩を岩石薄片にして観察したところ,斜長石の累帯構造やミルメカイト様構造などのメルトからの晶出を示唆する組織が見られた.この石を句碑に使用するにあたって,花崗岩より色が濃く細粒緻密な岩質が好まれたのであろう.特に月石では白い鉢巻状の石英脈を月の姿にたとえており,この白い脈が映える黒い石であったことが重要だったと考えられる.揃石は砂岩の丸みを帯びたゆるやかな「く」の字の形を足(草履)に見立てている.また雪石では花崗岩脈を白い雪に,萩石では細い花崗岩脈が多数貫入している様子を萩の花の姿として詠んでいる.それぞれの句碑が石材の質を見極めた上で使用され俳句に取り入れられていることは,六歌仙塚の最大の特徴である.
中津川の河川で句碑に使用できるサイズの転石が多いのは,100万年ほど前から活動を始めたとされる屏風山断層で持ち上げられた恵那山などの山塊から,河川を通じて絶えず土砂や礫が供給されるからである.同じく中津川市内を流れる四ツ目川では,昭和七(1932)年に土石流による被害が報告されているなど,市内で大きな転石が流されてくるイベントが歴史上多数あったことは間違いない(中津川市,1977).句碑の成り立ちを知ることは,中津川市の防災啓発においても有用と考えられる.
【引用文献】
中津川市(1988)中津川市史 中巻,1510-1523.
中津川市(1977)中津町ノ水害ト復興誌,5-10.