講演情報
[G-O-21]島根県大田市の海岸に転がるチャート礫より産出したペルム紀からジュラ紀にかけての放散虫化石とその意義
*古谷 裕1、水上 隆、水上 恒子、半田 久美子2 (1. まちなか石ころ研究会、2. 兵庫県立人と自然の博物館)
キーワード:
チャート、放散虫化石、久利層、中新世、ペルム紀
2023年8月,筆者らのうち水上 隆は,大田市の文化財にも指定されている珪化木の巨木が見られることでも知られる,大田市仁摩町の田尻海岸に転がる多数の礫の中に,チャートが存在するのではないかと考え,高校時代の同級生であった古谷 裕に確認を求めた.その後,水上 隆,水上恒子,古谷 裕の3名で2024年3月に田尻海岸を訪れ,海岸に転がる石ころの中から約20個のチャートを見いだした.そのチャートからフッ化水素酸処理により古生代ペルム紀から中生代ジュラ紀に及ぶ放散虫化石等が抽出された(図).
田尻海岸は集落からの距離があるため,海岸に転がっているチャート礫が人によって持ち込まれた可能性は低いと考えられるが,海岸に露出する中新世久利層の礫岩に由来するものであることをより確からしくするために,2024年8月および11月に,海岸に露出する礫岩層からのチャート礫の探索を行った.しかし,その時は露頭から発見できなかったので,海岸に多数転がる礫岩の転石を持ち帰り,三田市立弥生小学校内にある石ころ研究室で,訪れた小学生の協力を得て,持ち帰った礫岩を割り,チャートを探した.さらに,この過程で発見されたチャートの円礫または亜円礫のうち,5個に対して放散虫化石の抽出処理を行ったところ2個から放散虫化石が得られた.
さらに,2023年8月に大田市にて古谷が個人的に実施した「石ころ標本づくり」を受講した小学3年生の奥村尚己さん(受講当時大田市立大田小学校2年生,現在は4年生)から,2024年に大田市久手町の海岸にてチャートを発見したとの知らせを受け,2024年6月にその石がチャートであることが確認されたので,本人とともにチャートの発見場所である大田市久手町の柳瀬海岸を訪れ,チャートの採集を行った.
一般に,日本海側には日本海の形成と拡大に伴って堆積した新生代新第三紀以降の地層が広く分布しているため,チャートを含む可能性のある中生代以前の地層の分布は限られている.地質図Naviを参照すれば,地層としてのチャートが太平洋または瀬戸内海側との分水界の日本海側に分布しているのは,本州においては福井県および島根県西端の高津川流域から山口県萩市にかけての地域に限られ,島根県大田市においても,地層としてのチャートや,チャートを含む可能性のある中生代以前の地層は存在しない.しかし,島根県大田市では,中新世大森層の砂岩層に礫種のうちチャートが多数を占める礫岩層が狭在することが知られ(井上,1992).梅田ほか(1992)によって,三畳紀およびジュラ紀の放散虫化石の産出が報告されている.しかし,このチャートは多くの人の居住地からは隔絶された極めて狭い範囲でのみ,見られるものであった.
チャートは非常に硬い石であるため,河川によって遠方まで運ばれることで,地層中に占める割合以上に河床の礫に占める割合は高くなり,広い範囲に分布すると考えられる.その事は地層としてのチャートが見られない地域であっても,石ころとしては存在する可能性があることを意味している.チャートは学校教育の中では中学1年で初めて学習する岩石であるが,石ころとして存在する場合,表面がツルツルで,非常に硬いため,他の石から識別しやすい.さらに遠い過去の放散虫の生息域から現在転がっている場所まで,そのチャートがたどった道筋について考察する中で,チャートとの出会いが,大昔にはるか遠くの海で生息していた小さな生き物との出会いと捉えることで,多くの人々に深い感慨を与える可能性を持った石である.そのため,初学者に石のもつ面白さを伝える材料としては有力な候補になり得る石でもある.今回の発見も小学生の協力があって可能となったものであるが,硬くてツルツルというチャートの特徴が,小学生にもしっかり理解されたことが発見につながったものと考えられる.
今後,島根県大田市において,2か所から化石を含むチャートが発見されたことで,仁摩保育園の園児たちと田尻海岸でチャート探しを実施し,仁摩小学校6年生を対象に,「石ころ標本づくり」を10月に実施することを計画しているが,今回の発見により,日本海側の他地域でもチャートの確認が期待できるので,地学教育の有力なツールとしてのチャートへの期待が高まったと言えそうである.
引用文献:井上多津男, (1982), 地球科学, 36, 47-50. 梅田真樹ほか,(1992),島根大学地質学研究報告, 11, 71-76.
田尻海岸は集落からの距離があるため,海岸に転がっているチャート礫が人によって持ち込まれた可能性は低いと考えられるが,海岸に露出する中新世久利層の礫岩に由来するものであることをより確からしくするために,2024年8月および11月に,海岸に露出する礫岩層からのチャート礫の探索を行った.しかし,その時は露頭から発見できなかったので,海岸に多数転がる礫岩の転石を持ち帰り,三田市立弥生小学校内にある石ころ研究室で,訪れた小学生の協力を得て,持ち帰った礫岩を割り,チャートを探した.さらに,この過程で発見されたチャートの円礫または亜円礫のうち,5個に対して放散虫化石の抽出処理を行ったところ2個から放散虫化石が得られた.
さらに,2023年8月に大田市にて古谷が個人的に実施した「石ころ標本づくり」を受講した小学3年生の奥村尚己さん(受講当時大田市立大田小学校2年生,現在は4年生)から,2024年に大田市久手町の海岸にてチャートを発見したとの知らせを受け,2024年6月にその石がチャートであることが確認されたので,本人とともにチャートの発見場所である大田市久手町の柳瀬海岸を訪れ,チャートの採集を行った.
一般に,日本海側には日本海の形成と拡大に伴って堆積した新生代新第三紀以降の地層が広く分布しているため,チャートを含む可能性のある中生代以前の地層の分布は限られている.地質図Naviを参照すれば,地層としてのチャートが太平洋または瀬戸内海側との分水界の日本海側に分布しているのは,本州においては福井県および島根県西端の高津川流域から山口県萩市にかけての地域に限られ,島根県大田市においても,地層としてのチャートや,チャートを含む可能性のある中生代以前の地層は存在しない.しかし,島根県大田市では,中新世大森層の砂岩層に礫種のうちチャートが多数を占める礫岩層が狭在することが知られ(井上,1992).梅田ほか(1992)によって,三畳紀およびジュラ紀の放散虫化石の産出が報告されている.しかし,このチャートは多くの人の居住地からは隔絶された極めて狭い範囲でのみ,見られるものであった.
チャートは非常に硬い石であるため,河川によって遠方まで運ばれることで,地層中に占める割合以上に河床の礫に占める割合は高くなり,広い範囲に分布すると考えられる.その事は地層としてのチャートが見られない地域であっても,石ころとしては存在する可能性があることを意味している.チャートは学校教育の中では中学1年で初めて学習する岩石であるが,石ころとして存在する場合,表面がツルツルで,非常に硬いため,他の石から識別しやすい.さらに遠い過去の放散虫の生息域から現在転がっている場所まで,そのチャートがたどった道筋について考察する中で,チャートとの出会いが,大昔にはるか遠くの海で生息していた小さな生き物との出会いと捉えることで,多くの人々に深い感慨を与える可能性を持った石である.そのため,初学者に石のもつ面白さを伝える材料としては有力な候補になり得る石でもある.今回の発見も小学生の協力があって可能となったものであるが,硬くてツルツルというチャートの特徴が,小学生にもしっかり理解されたことが発見につながったものと考えられる.
今後,島根県大田市において,2か所から化石を含むチャートが発見されたことで,仁摩保育園の園児たちと田尻海岸でチャート探しを実施し,仁摩小学校6年生を対象に,「石ころ標本づくり」を10月に実施することを計画しているが,今回の発見により,日本海側の他地域でもチャートの確認が期待できるので,地学教育の有力なツールとしてのチャートへの期待が高まったと言えそうである.
引用文献:井上多津男, (1982), 地球科学, 36, 47-50. 梅田真樹ほか,(1992),島根大学地質学研究報告, 11, 71-76.

