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[G-O-25]関東山地北部跡倉ナップと秩父北帯との層序関係:3つの解釈

*竹内 圭史1 (1. なし)
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キーワード:

跡倉ナップ、緑色岩メランジュ、秩父北帯

 関東山地北部の群馬県下仁田町地域には,三波川帯御荷鉾緑色岩類の構造的上位に跡倉ナップが存在している(1/20万地質図幅「長野」,中野ほか1998;画像は産総研シームレス地質図V2).跡倉ナップの基底は跡倉断層により境されている.跡倉ナップ南縁と秩父北帯との境界は,埼玉県小川地域・秩父盆地北方などでは中期中新世以降に活動したWNW走向の高角断層で境されており,ナップ形成当初の地質構造を残していない(1/5万地質図幅「寄居」,牧本・竹内1992).
 跡倉ナップの南縁は下仁田町地域南西の南牧村地域で秩父北帯に達しており,そこではTazaki (1966地球科学)が記載した蛇紋岩帯である緑色岩メランジュが分布する.そこでは低角北傾斜の構造境界を伴って,下位(南側)より秩父北帯の石灰岩体など非変成付加体,緑色岩メランジュ,さらに非変成付加体が構造的に累重している.この緑色岩メランジュのNW端は南牧村大塩沢で途絶え,以西には非変成付加体が分布する(藤本・北村1942地質雑).演者は南牧村地域が本来の構造関係が残っている唯一の地域であると期待していた.
 跡倉ナップ南縁部と秩父北帯との層序関係は,①緑色岩メランジュを境に上位を別の地質帯とする見解,②緑色岩メランジュの上位の付加体も秩父北帯であり,秩父北帯が断層・褶曲により構造的に繰り返しているとする見解がありうる.①では,跡倉ナップ基底を画する緑色岩メランジュが跡倉ナップと秩父北帯との構造境界となっている.この境界は全域で存在しなければならず西方へ延長していることが求められる.1/20万地質図幅「長野」において竹内は,この見解①に基づき西方の付加体中にWNW-ESE走向の断層を推定した.そして緑色岩メランジュの上位側(北側)の付加体を,跡倉ナップに属する未詳付加体に地層区分した.また②では,緑色岩メランジュの上位側の付加体が秩父北帯万場・上吉田ユニットに類似することを重視する.しかしどのような断層・褶曲構造により秩父北帯が繰り返すのかは明らかでなく,また緑色岩メランジュが繰り返して分布していない点も難点である.
③緑色岩メランジュ構造性貫入岩体説 本要旨で新たに提唱する,緑色岩メランジュを秩父北帯の付加体中に調和的に固体貫入した岩床状の岩体とする見方である.この見方では,緑色岩メランジュの上位の付加体も秩父北帯の付加体であることになる.南牧村大塩沢で緑色岩メランジュNW端が途切れること(藤本・北村1942)は,貫入岩体の末端を見ているためであると解釈でき,①のようにNW方の秩父北帯中に未知の構造境界断層を仮定する必要がなくなり,②の秩父北帯付加体の繰り返し構造も不要となる.
 緑色岩メランジュは周囲の地層とは本来的に構造性接触関係にあるので,露頭観察により断層境界か貫入境界かを判別することは困難である.南牧村大塩沢において緑色岩メランジュの延長断層が発見されれば③は否定されるが,藤本・北村(1942)・演者の調査結果からはその可能性は低い.
 ③の見方では,南牧村地域の緑色岩メランジュはおそらく跡倉ナップ形成時に秩父北帯付加体のユニット境界に貫入した岩床状岩体であり,その上下の秩父北帯の地層とは層序的な上下関係はない.もしそうであれば,形成時の跡倉ナップと秩父北帯との本来の構造関係は現在ではどこにも保存されていないように思われる.