講演情報

[T13-O-16]下北半島,鮮新世〜前期更新世大畑層分布域に新たに見出された複合カルデラの地質構造:産状, 岩石学的特徴,およびジルコンU-Pb年代からの制約

*吉田 颯1、折橋 裕二1、佐々木 実1、金指 由維1、岩野 英樹2,3、梅田 浩司1、天野 格4、平田 岳史2 (1. 弘前大学、2. 東京大学、3. (株)京都フィッション・トラック、4. 電源開発株式会社)
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【ハイライト講演】  東北日本弧は島弧火山活動期(13.5 Ma以降)のカルデラの宝庫である.この研究は下北カルデラ群を例に地質踏査による産状観察,岩石学的記載・年代測定にもとづいて,複合カルデラの複雑な層序関係の実態・形成史を明らかにするものである ※ハイライト講演とは...

キーワード:

新第三系、下北半島、薬研、大畑カルデラ、複合カルデラ、軽石凝灰岩


 東北日本弧には島弧火山活動期(13.5 Ma以降)に多数のカルデラ群が形成され(吉田ほか,2020),青森県下北半島では鮮新世〜前期更新世にかけて5つのカルデラからなる下北カルデラ群が形成された(盛合ほか,印刷中).その中で薬研地域には根本・箕浦 (1999)により鮮新世の大畑カルデラが想定されており,周辺域にはカルデラ噴出物とされる大畑層(OH)(上村・斉藤,1957;上村,1962)が分布している.河野ほか(1998)と伝法谷ほか(1998)は岩相の類似性と得られた放射年代の結果から,OH下位の薬研層(YA)の一部と上位の小目名沢デイサイト(KD)をOHに一括することを提案した(以下,再定義されたものをOH,以前のものを旧OHと表記)(図1).しかしOHから得られた放射年代値は約5~2 Maと年代幅を持ち,また全域を網羅する詳細な産状記載はまだ行われていない.そこで,本研究では大畑カルデラの地質構造とOHの産状について再検討することを目的とし,大畑〜奥薬研地域において地質踏査を行うとともに,採取した火砕岩のジルコンU-Pb年代測定を行った.
YA最下部は柱状節理が発達した強溶結のデイサイト質溶結凝灰岩から構成され,その上位を緑色に変質した軽石凝灰岩が覆う.さらに上位にはデイサイト質凝灰岩~溶岩が覆っている.またYAとされるデイサイト溶岩のうち,赤滝周辺と三太郎川下流に産するものは2.2〜1.9 MaのK-Ar年代の報告があり(電源開発,2019),大西股沢に産するデイサイト溶岩はYAとされる軽石凝灰岩を覆う.旧OHは乳白色の軽石凝灰岩を主体とし,稀にシルト質~粗粒凝灰岩からなる.大畑川上流,長次郎沢の軽石凝灰岩最下部では黒色ガラス化し冷却クラックが発達した産状が見られ,ゴネ沢の最下部では軽石凝灰岩が基底礫層を挟んで下位の易国間安山岩類を不整合に覆う.葉色沢では平行ラミナが発達した軽石凝灰岩が主体であるが,その上部には最大2mの巨大軽石の濃集層が見られる.KDは大畑川下流の小目名周辺に産し,主に溶結凝灰岩からなる.本研究では新たにKDから3.24±0.08 Ma,旧OHから3.05 ± 0.11 Maと3.01 ± 0.18 MaのジルコンU-Pb年代値を得た.KDと旧OHの分布域と本放射年代の結果から旧OHはKDにアバットしていると考えられる.
本研究による産状記載からも旧OHの一部は浅水域に流入・堆積したことが示唆され,戸田ほか(2011)が報告したように既に形成されていた陥没構造に旧OHが充填したと考えられる.このことは旧OH噴出時には大畑カルデラが形成されていたことになり,新たに旧OHの供給源を見出す必要がある.前述のようにKDは溶結凝灰岩からなり,大畑川左岸では旧OHのラミナが発達した軽石凝灰岩が見られ,その最下部は基底礫層からなる.このことから,小目名地域はKD噴出時(約3.2 Ma)に陸化しており,旧OH噴出時(3.2~2.6 Ma)には少なくとも大畑川左岸が陥没し水面下にあったことになる.広島ほか(1998)による重力異常図では大畑川に沿って東北東-西南西伸長の楕円状を呈する負の重力異常が見られることから,同地域には直径約9 kmの陥没カルデラ(新称:小目名カルデラ)の存在が示唆される(図2a).大畑川左岸には巨大軽石濃集層が堆積していることから,旧OHの供給源は小目名カルデラ付近と考えられる.
本研究と先行研究(例えば,梅田・檀原,2008)の結果をまとめると,YAは最下部に溶結凝灰岩を伴う緑色の軽石凝灰岩からなり,噴出年代は4.8~3.6 Maである.これに対し旧OHは乳白色の軽石凝灰岩主体で噴出年代はKDを含めて3.4~2.6 Maである.このことから,YAは大畑カルデラ起源,旧OHとKDは小目名カルデラ起源と考えられ,本研究ではOHを4.8~3.6 Maの薬研部層と3.4~2.6 Maの小目名部層に区分することを新たに提案する(図2b).上述した産状から,大畑カルデラの活動期には陸域であったが,小目名カルデラの活動期には大畑川左岸が陥没し大畑カルデラ西部では湖水域となっていたと考えられる.約2 Maには小規模なデイサイト溶岩が後カルデラ期噴出物として流出した.

引用文献:伝法谷ほか(1998)日本地質学会学術大会講演要旨,電源開発株式会社(2019)大間原発 敷地の地質・地質構造,広島ほか(1989)青森県域重力異常図,河野ほか(1998)日本地質学会学術大会講演要旨,小林・水上(2012)日本第四紀学会講演要旨集,根本・箕浦(1999)月刊地球,盛合ほか(印刷中)地質雑,戸田ほか(2011)日本地質学会学術大会合同学術大会講演要旨,上村(1962)図幅,上村・斉藤(1957)図幅,梅田・檀原(2008)岩石鉱物科学,吉田ほか(2020)地学雑誌